DE ROSAに纏わる我が家の話


「DE R♡SA」自転車愛好家で無くとも、その名を知る世界的に有名なハイブランド・バイクの代名詞。

私がものごころ つく前から、家の片隅で目にしていた古臭い自転車があった。
それが「DE ROSA」である。
飾り気の無いシルバーの”か細い”自転車として子ども心に「なんだか古くて格好悪い..」そう思いながら育っていた。

私にとって、自転車が移動手段では無く、趣味の乗り物として認識できたのは今から20年ほど前の事。
ビアンキ・コルナゴといったイタリアンブランドの自転車の中にみつけたDE R♡SAの文字。

「え?デローザ?」ってあのDE ROSA?
あまりにも幼いころから見ていた名前だけに、その名が世界的ブランドの名だと理解するのには時間と若干の勉強が必要であった。

私の実家の父とDE ROSAの関係性について触れておこう。
私の生まれる前、父がまだ大学生の頃。
単身でイタリア・デローザを訪れ、ウーゴ・デローザに特注フレームによるコンプリートバイクをオーダーした。
らしい。詳しい事は正直よく知らないが当時の写真は残っている。
まだまだ小さな工場で、スタッフは数えられる程度の人数の集合写真を見せたもらった記憶がある。

その中に、当時デローザで修業をしていた日本人長澤 義明 ナガサワレーシングサイクル の姿が在った。
唯一日本語でコンタクトをとれるデローザ関係者を頼りに、スペシャルオーダーフレームをオーダーしたのが父である。
今ではネットの力で何とでもなってしまう事かもしれないが、1970年代はそうはいかない。
どんな労力がそこにあったかはいまだ知る術も無く、思い出話しとて認識する程度の事実である。
その頃の話として、脳裏に残るフレーズは「こんなに小さなフレームは造った事が無い!強度と性能が果たせるのかわからない。」とウーゴ・デローザと話したと聞いている。つまり、世界初のスモールサイズをオーダーしたのは私の父であるという事。

情報の無い時代に、単身イタリアに渡り、言語ままならぬ状態で自転車を造り、持ち帰った父。
子供の頃から聞く話であったが、それがどれだけ大変で、スケールの大きな話であったか、そこに気付くのはようやく最近である。

その古臭くて格好悪かった自転車が、クロモリのロードバイクであり、現代では大きな価値を持つ様だ。
いま、自分が似たようなフレームを手にした。それは父への敬意を表す事にも繋がるか。

幼少期とは全く異なる思いで、そのフレームを眺める時間。

至福である。

限りなく美しい造形。
鉄ならでは、鉄にしか出せぬ表情がある。

憧れを馳せ、実現した思いを持つ父のルーツを、ようやく受け継ぐ時が来た。
自分自身に余裕の時間が無ければ完成しない、そんな1台。
ただ、言えるのは「物は逃げない・裏切らない」

あの頃に魅た父の景色が、私にも見える時が近い。そんな思いで、日々の仕事に屈力しようではないか。
Written by Hashimoto

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